チンプンカンプンの東大入試問題

現在とは学制が違いますが、小学校を終えて昼は旅館の番頭をやりながら、夜は今の夜間高校に相当する夜間中学に通って勉強するという生活をしておりました。
日中勤めていた旅館は、「後藤又兵衛旅館」という何ともすごい豪傑の名前がついた旅館で、その由来はご主人の名前からだったのです。夜間中学の三年のことでしたから私は十七歳です。

一流の医者イコール東京大学医学部卒業生という図式が頭に染み着いたのです。若い時代にはよくある思い込みというヤツです。
ともかく東京大学医学部の入学試験を受けてパスしなければという衝動に駆られ、こっそり受験の手続きをしました。

入学試験のため上京して有名な赤門をくぐってみたときに、これはすごいところに来てしまったものだと思ったりしました。
私の受験する席は法学部の何番教室とかいうところにありました。

びっくりしたのは試験の問題です。
今でもよく覚えていますが、最初は数学が試験科目でした。

驚いたことに出題された問題を読んでみても、その意味すらサッパリわからないのです。
夜間中学では見たこともない、聞いたこともないような問題が並んでいるのです。

第一問、 第二問、第三、第四、第五と五つの問題が並んでいました。
第一の問題は連立方程式の問題でしたからこれはどうやら解けました。第二問目は何が何だかわからない。三問目も何が何だかわからない。

第四、 第五も同様で、「いったいこりや何だ」というのが答案用紙を目の前にしての感想でした。
完全に降参です。東大入学の野望は遠く消え去りました。

いったいこの問題はどういう意味なのか、 どうやって解くのか、山形に持ち帰って確かめなければなりません。
そこで残った時間でチンプンカンプンで意味不明な問題をしつかりと暗記することにしました。

後になってわかったことですが、実は微分と積分の問題だったのです。
夜間中学では一次関数、 二次関数、 三角関数までは習っていましたが、 微分は習っていなかったのです。
ましてや微分を逆にして積分するなどは想像もっかない世界です。

その程度の知識で東京大学医学部を受けたわけですから、 悔しいというよりも自分のバカさ加減に腹が立ちました。
カマキリが己のカマを振り上げて、 自分の力量も知らないで大きな動物に反抗する様を蟷螂の斧と言いますが、それと似たようなもので、身の程知らずにも挑戦した山形の夜間中学生は、東京大学に一蹴されたわけです。

山形の母校に帰るやいなや、暗記してきた試験問題を数学の先生に示して、「先生、この問題を解いて下さい」とお願いをしました。
先生は問題をジッと睨んでおりましたが、しばらくしてから途方にくれた様子でため息をつき、「これは俺には解げね」と言います。

「解げねっても先生・・・」と今度は私の方が途方にくれました。
「それじゃ何で夜間中学があるんですか」と食い下がりますと先生は黙り込んでしまいました。

その後しばらくの間は、 いい加減な教育をしやがってと腹も立ちましたが、考えてみると自分が無理難題をいっているのだと気づきました。
先生が東大医学部の入学試験をスラスラと解けるのであれば、彼は間違いなく東京大学を卒業したであろうし、東京大学卒業であれば、現在のような夜間中学の先生をしているわけがない。

医者なり、外交官のような高級官僚なり、大学の教授などになっていたはずだ。
それができなかったから俺たちに教えてくれている先生なのだと、論理的に辻褄は合っていないのですが自分なりに納得したのです。

佐藤一英「見えてきたガンの征服」 ㈱実務教育出版 1995年 第五章 患者の気持ちと医者の思いより


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