パスツールから学ぶ

さて、次のステップは医学部へ入ることです。
あれこれ模索しているうちに群馬大学医学部へ進むことができました。

群馬大学医学部では、山本郁夫教授との出会いが大きな勉強になりました。
山本教授の講義は面白いと学生には評判でしたが、講義を受けてみて初めてそのわけがわかりました。

たとえば、今でもよく覚えているのはルイ・パスツール (1822~1895年。フランスの化学者・細菌学者)についての講義です。
パスッールについてはご承知のように狂犬病やニワトリコレラのワクチンをつくったことで世界中に知られています。
私ももちろん、夜間中学や山形大学の理学部で免疫学を学ぶ過程で教わって、パスッールのことをある程度は知っていました。

それらの教育は、 パスッールの業績はこれこれで実に素晴らしいものであるというような教え方でした。

ところが山本教授の講義は、 パスツールの人間性についてとか、彼の研究の流れが次の研究のインスピレーションとなって、研究の前後にしつかりとつながっている一本の太い糸が通っているとか、科学技術とは人間に役立つ技術でなければならないとパスッールは考えていたというように、生き生きとしたパスッール像が学生に見えるような講義内容なのです。

ハスッールは、最初に結晶学に興味を持ち、1848年、26歳のときに、ブドウ酸には旋光能(ある物質を直線偏光が通るとき偏光面が回転することがある。
その働きのこと)がないという当時の学説に対し、ブドウ酸の旋光能には、左旋性と右旋性の2つのタイプの酒石酸があって、それが等量混じって旋光能を打ち消し合っていることを証明しました。

一連のブドウ酸の研究で名誉あるレジオン・ドヌール賞を受けますが、ブドウ酸の研究から発酵へと研究を進めて、ブドウ酒やビールの変質の原因を研究します。

その研究過程でビール酵母は円形のものがうまいビールができ、楕円形の酵母では酸っばいビールができることを発見しています。
現在、私たちがおいしいビールが飲めるのも、背景にパスッールの功績があったからです。
パスッールは酵母の研究から微生物の研究へと歩を進め、当時の学説であった発酵は自然発生的なものではなく、空気中の微生物の働きによるものであることを証明します。
その応用技術として、外科手術の際の化膿防止のための消毒法や、今日でも牛乳の消毒に使われている低温殺菌法を開発しています。

1865年に南フランスで大流行したカイコの病気が伝染病であることを発見し、病原菌が伝染しないような処置を考え出して、世界中の養蚕業者を救っています。
こうしてパスッールの興味は伝染病へと移り、1880年にはニワトリコレラの病原体を分離して、希釈培養液をにワトリに植え付けることで免疫が獲得されることを証明します。
さらに致命的な家畜の病気である炭疸病でもワクチンをつくり、予防することに成功しています。

彼はこうした方法を「ワクチシネーション」と名付けますが、申し上げるまでもなく、ワクチンの予防接種は、数え切れないほどの全世界の人びとの生命を救っています。

狂犬病はウイルスによるものと推定して、狂犬病のイヌの唾液から健康なイヌに感染させることに成功し、さらに感染させたイヌの脊椎をすり潰して別の未感染のイヌに注射して発病させ、狂犬病ウイルスの存在を証明します。
さらに研究を進めて弱毒化した狂犬病ウイルスによるワクチンを開発します。1885年、狂犬に咬まれた九歳の少年ジョセフ・マイスターにこのワクチンは使われ驚異的な効果を発揮したのです。

このようにパスッールの研究には、 Aからへ、からCへという一連の流れがあるのです。
また、「科学には多くの分野が存在するのではない。
科学というものとその応用があるのみだ」といっていますが、人類の幸せに直接役立っための研究をするというしつかりした哲学を持った人なのです。

臨終の床で弟子に向かって、「働かなければいけないよ」と最後の言葉を語ったそうですが、自分の仕事に情熱を燃やし続けてきた信念の人でもあるのです。
こうしたことを生き生きと山本教授は講義してくれたのです。講義の中でわれわれ医者の卵に多くのアドヴァイスを与えてくれていたと思うのです。

佐藤一英「見えてきたガンの征服」 ㈱実務教育出版 1995年 第五章 患者の気持ちと医者の思いより


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