医者になりたいという強い願い

昭和十年代の少年の夢といえば、陸軍の大将のような偉い軍人になりたいとか、立派な医者になりたいとか、エジソンのような発明家になりたいなどという単純なものでした。

私の心の中には、いつの間にか医者になりたいという強い思いが棲みついて離れず、日夜、「医者になるんだ。それも一流の医者になるんだ。」と自分にいい聞かせておりました。

私が医者になりたいと一途に思いこんだ背景の一つには結核がありました。結核という病気は、今日ではあまり耳にすることもない忘れ去られた病気ですが、昭和初期までは現在のガンやエイズと同じように、いやそれ以上に猛威を振るった恐ろしい病気でした。

結核菌は容易に周囲の人たちに伝染することから一家全員が結核に冒されたり、適切な治療法がなかったために、たくさんの人たちが手の施しようもなく死に至ることから「業病」とさえいわれ、結核患者は社会的にも差別されたりしたのです。
その人の前世の行ないが悪いとか、先柤の悪業の因果がめぐって結核になったのだと受け止められたりしたのです。
このように結核はたくさんの人びと、とくに多くの将来ある若い人たちの生命を奪いました。
結核は長い間死亡原因第一位を占めていて、確実に死に向かう病気だったのです。

全般的に見れば申し上げたような状況でしたが、少年の私の目から見れば、結核は決してすべての人びとに平等ではありませんでした。
貧富の差による差別がそこに間違いなくありました。貧しいが故にきちんとした治療が受けられず、十分な栄養が摂れないために敢えなく死んでいく人と、その逆に、お金持ちであるが故に、きれいな空気の土地に転地して治療を受け、栄養も十分に摂って助かる人がおりました。

もちろん、今日でもそうした貧富の差による医療上の差別は存在するでしようが、健康保険制度が整備されて当時ほど明確な差別はないはずです。
当時の貧しい人たちはまともな医療も受けられずバタバタと死んで行く、お金があれば転地療養して助かる、そうした結核という病気の図式は、子供心に決して許されないことのように思えたのです。

細菌性の病気に劇的な治療効果を発揮する抗生物質のペニシリンは、一九二九(大正十)年にイギリスのアレクサンダー・フレミングによって発見されました。
一九四一 (昭和十六)年にはフローリーによって分離抽出され、細菌感染症に対する効果が証明されて医薬品として世に出されます。
相次いで一九四四年、私が十四歳の頃ですが、結核の特効薬であるストレプトマイシンがアメリカのワクスマンらにより発見されています。

それらの薬はやがて日本にも入ってきますが、到底、庶民が買えるような値段ではありません。
現在は国民すべてが加入していて、医療費の個人負担が軽減される健康保険制度ができたのは一九六一(昭和三十六)年のことです。
健康保険制度もない当時の貧しい人びとにとっては、かりに抗生物質があっても高額で買えないわけで、むざむざ死に向かうより方法がありません。
このような状況ですから結核ほど深刻で恐ろしい病気はなかったのです。

山村で育った少年の目からは、医者は病気に対して万能の神のように見えました。貧しい人びとを救える医者なりたい、貧富に関わらず平等な治療をしてやれる医者になりたい、そういう強い思いか心から離れなくなったのです。

佐藤一英「見えてきたガンの征服」 ㈱実務教育出版 1995年 第五章 患者の気持ちと医者の思いより


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