大円和尚の教え
このほかに学校では多くの諸先生の薫陶を受けましたが、実社会でも忘れることができない出会いがあります。
有名な京都の清水寺の管長を務めておられる松本大円師とは、ご縁があって私が対談する機会を得、その後も長いおつき合いをさせていただいています。
初めて大円師にお目にかかったときに、「和尚さん、人生の中でいちばん大切なことを一言で表せばどういうことでしょうか」と、一言で答えるには無理だと思われるお尋ねをしました。
「人生これ直視なり」と大円師はためらうことなく答えたのです。
そのまま素直にものを見ろというのですが、この答えを聞いた瞬間は、誰でもそのまま素直にものを見ているではないかと思いました。
しかしよくよく考えてみれば、私たちはいろいろにネジ曲げてものを見ていることに気づきます。物事すべてを曲視をしているのです。
人間を見るときも、この人は裕福なのか貧しいのか、何の職業でどのような会社に勤めているのか、大会社か小さな会社か、学歴はあるのか、大学はどこの大学か、服装はどうか、容貌やスタイルはどうか。
数え上げれば切りがないほどの色眼鏡や、自分で勝手につくり上げた価値観で判断しながら人間を見ています。
自分自身に対しても、大学教授であるから自分は他人より立派であるとか、権力を握っている政治家だから、巨額な利益を上げる大会社の重役だから、あるいは生命を救う医者だから社会的に偉いのだというように、今度は都合のよい色眼鏡で自分を見ています。
逆に、貧乏だから自分は社会的に劣っているとか、学歴がないから能力がない人間だというように自己卑下して生きたりします。
花は虚心に咲いて、自分の役割を終えれば虚心に散ります。人間はその花を見て、好きとか嫌いとか、あるいは美しいとか醜いとか、長持ちさせたい、散るのは惜しいなどと自分勝手な計らいをします。
計らいを取り去って直視すれば、人間の人生も、生まれて来た役割を懸命に果たして、そして死んで行く、そういうことだと思います。
偏見や片寄った価値観を持たずにまっすぐにものを見る。
素直にそのままものを見る。
大円師の教えを完璧に実行することは私のような凡人には困難なことですが、しかし常に自分への戒めとして心がけています。
仏教では、「自他不二」を教えます。
自分と自分以外の他は、一つではないがしかし二つではないという意味のようです。
人間関係でいえば、とかく自分と他人というように分けて考えますが、宇宙の側から見れば自他ともに混然とした宇宙の構成物です。
自他を分けて区別することは自分の都合でしかないのです。
個々の都合で物事を見る人間の側に、真理が存在するわけはありません。考えを進めれば、素直に見ることは究極はそこまで行くのです。
医学も同じことで、患者を病気で苦しんでいる一人の人間として素直に見る。
外科医であろうが内科医であろうが、自分の専門にこだわらず患者を診れば、自ずと最適な治療法が工夫されるはずです。
臨床医学であろうが基礎医学であろうが、病気を治すという目的は同じはずです。
病院では患者も医者も看護婦も、そして病院のスタッフも、目的は病気を治すことにあります。
そこのところをみんなが直視すれば、予想もつかない大きなエネルギーが生まれて来ます。
大円師の教えをいい換えれば、広くこだわらずに物事を受け止めなさいということでしょうから、私にとっては心の目を開かせる貴重なお言葉でした。
佐藤一英「見えてきたガンの征服」 ㈱実務教育出版 1995年 第五章 患者の気持ちと医者の思いより












