山形大学理学部へ入学して

夢が叶うと思うと悦び勇んで勉強しました。朝は旅館の半纏姿で中学校に行きます。
着替えは、今でいうと更衣室とかロッカールームですが、当時はそんなしゃれた場所はなく、下駄箱などと一緒に柔道着などが押し込んである棚があったのでそれを利用させてもらい、旅館の半纏と学生服を取り替えます。

学校の勉強を終えると半纏に着替えて帰えり、旅館の仕事をします。仕事を終えた深夜に勉強の復習や予習をするという生活です。そうやって勉強していると、時折、宴会の残り物を女中さんが差し入れをしてくれたりしました。

あまりお金をかけず医学部へ入るための工夫もしました。
戦後にできた制度ですが、取りあえず教養学部で単位を取っておいて、次に医学部へ移るという方法があります。
そこで後藤又兵衛旅館にお世話になって働きながら、取りあえず山形大学の理学部へ進学することに決め、試験を受けて入学を許されたのです。

山形大学理学部では、発生学、遺伝学に出会いました。
今日になって考えてみると、これが実に幸せな出会いだったと思います。
その後、私はガンの治療方法について研究をすることになりますが、山形大学理学部で得られた知識や研究手法が大いに役立ったのです。
逆に、山形大学で発生学や遺伝学に出会わなければ、ガン治療法の研究は進展しなかったもしれません。そうした点で実に幸運な出会いに恵まれたと思います。

発生学では、当時の山形大学に花岡謹一郎教授がおられました。北海道大学を卒業されて、発生学では優秀な業績を上げておられ、斯界の権威であったそうですが、入学したての私はそんな立派な先生だとは知る由もありません。

花岡教授は座学よりもどちらかというと実学派で、机の上の勉強よりも実際に発生学の実験や実技をさせるという教育方法でした。山椒魚やイモリの卵が受精して細胞分裂をして行く過程を一つ一つ学生自らに体験させるのです。

田舎育ちの学生であった私からすれば、真の学問に触れるという鮮烈な感動と悦びがあります。
そうした気持ちで接した発生学の実験は、実に不思議な生命現象を目の前に展開してくれたのです。
卵子と精子が出会って受精した途端に卵の細胞質が活性化され、卵細胞にくびれが入って分裂(卵割)が起きて来ます。

そして、それぞれの細胞が自分の役割を認識しながらそれぞれの形態を持つ器官に成長して行くのですが、何ともいえないほど魅力的であり興奮させる神秘的な生命の力です。

小さな受精卵の中に仕込まれている生命の力が、細胞を次から次へと分裂させ、形に変化が起きてきます。
区画化された細胞がロになり、肛門になり、脳になり、最終的に消化器官や循環器官を形成して、一個の生命体をつくり上げて行くのです。
こうした現象を見ているとまるで魔法の世界を見ているような気持ちになったものです。

そのときに観察した生命の強い力は、後に医者として患者に触れるときの基本的な心構えとなりました。
というのは、患者にもあの発生期の奇跡のような生命現象を引き出す偉大な生命の力がある。医者はその生命の力を引き出す手助けをするのだという気持ちです。

病気を治すのは患者の生命のカであって、決して医者ではありません。
手術をするのは医者ですが、手術の傷を治すのは患者自身の生命のカです。体外から侵入したウイルスや細菌を殺す免疫も人間自らに備わった生命のカです。

擦りキズを観察すれば、血管からの出血がキズを洗い、滲み出た透明な漿液がキズを消毒し、繊維質のフィブリノーゲンが酵素によって活性化され、不溶性となってカサプタをつくって行くことがわかります。
カサプタの下には真皮が形成されていき、しばらくすれば元の健全な皮膚に戻りますが、これは生命が持っている自己を修復する力なのです。
医者は患者が持っているこの生命の力を頼りにしながら治療をするのです。発生学との出会いは、そうした生命のカの存在をしつかりと目の前で見せてくれました。

こうして山形大学理学部で、発生学を実学中心で学んだことは、その後のガン細胞の研究において、細胞の取り扱いや細胞の増殖、細胞そのものの性質の研究などに大いに役だったのです

佐藤一英「見えてきたガンの征服」 ㈱実務教育出版 1995年 第五章 患者の気持ちと医者の思いより


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