自在な発想を学ぶ
「自在な発想を持て」ということも発生学の実験から学びました。
花岡教授の発生学の研究には優秀な助手がサポートしておられました。
その助手は、産科病院に行っては生まれたばかりの赤ちゃんの頭髪を両親の了解を得て何本かもらってくるのです。
「生まれたばかりの赤ん坊の髪の毛でいったい何するんだべ」と皆目見当もつかないので聞くと、「赤ん坊の髪の毛を発生学の実験に使うんだよ」といいます。
そう説明されても何のことやらわからず頭の中は疑問符だらけでしたが、そのうちなるほどと納得がいきました。
山椒魚の卵が受精して卵割を始めしばらくすると、ちょうどボールの表皮の一部がボールの中の空洞に陥ち込むように、外皮が窪んで凹の字のように内部に向かって成長を始めます。
まん丸い花瓶とそのロに似ていますが、ロの部分から内側に細胞が成長して二重になっていきます。この外側の細胞群を外胚葉、内側を内胚葉、ロの部分を原口といいます。この過程を「のう胚形成」とか「原腸形成」と呼びますが、多くの動物の発生期にはこうした現象が見られます。
そしてそれぞれの胚葉細胞が分裂を繰り返し、成長してさまざまな器官がつくられていきますが、この間に細胞の一部を切り取ったり、 他の卵から取り出した細胞を植えつけたり、あるいはある部分を細い紐で縛ったりすると、成体になったときにいろいろな変形が現れます。
山椒魚の卵でいえば、 尻尾が2本ある山椒魚ができたり、 頭が二つできたり、 あるいはある器官が形成されないとか奇形になるという現象が起きます。胚葉のどの部分がどのような役割をしているのかを調べるためには重要な実験です。
この縛り(結紮)に使う細い紐は、 きつく結んだり、 緩く結んだりといろいろやるわけで、細くて強い紐が必要ですが、 その発生過程の卵の結紮にぴったり合うのが、 生まれたばかりの赤ちゃんの髪の毛だったのです。
考えてみれば発想の妙であり創意工夫です。私たちはよく、何々がないからこれはできない、だから実現不可能だという考え方をします。
しかし、それがなければではどうするか、何か別のもので工夫できないかと発想すれば、そこに道が拓けることがあるものです。
胚葉の結紮実験に使える細くて強い糸を当時の科学技術ではつくれなかったわけですが、だから結紮の実験はできないと考えるのか、他に代替する糸のようなものはないのかと考えるのかその差は大きいのです。
イギリスのヨットマンだったと思いますがこういう話があります。
彼は小さなヨットを駆って、たった一人で地球を回る航海に出たのですが、途中でエンジンの調子が悪くなり、とうとうエンジンはストップしてしまったのです。
もちろんヨットそのものは帆に受けた風で走りますが、船内の照明や無線機などはエンジンを回して発電機を作動させ、つくった電気をバッテリーに貯めて使います。エンジンストップのままでは先の航海が危ぶまれます。
そこで彼はエンジンを分解していろいろ調べた結果、点火するプラグの電極の間隔が何かのショックで狂ったのだという結論に達しました。
イギリスはインチで日本とは単位が違います。
ここではわかりやすいようにメートル法で話を進めることにします。エンジンのマニュアルを調べると、点火プラグの電極間は10分の1ミリ単位で正確に調整しなさいと書いてあります。
ところが小さなヨットの中には、普通のミリ単位で計れる物差しはあるものの、10分の1ミリ単位で計れるノギスのような精密な物差しなんてあるわけがありません。あれこれ考えたあげく、10分の1ミリの単位をかなりの精度で計る方法を考え出しました。
方法はこうです。航海中に読もうと思って持ち込んだ本の中から、できるだけ分厚くてページ数の多い本を選び出しました。
そして、5センチの厚さを測ることは簡単な物差しでできますから、5センチの厚さをできるだけ正確に計って、その5センチ分のページ数を数えます。
かりに5センチが800ページ(紙数で400枚)分の厚さだとすると、その5分の1の160ページ(同80枚)が1センチに相当することになります。すると、1ミリは16ペ ―ジ(8枚)であり、 8ページ(4枚)は0・5ミリです。わり算をすると紙一枚の厚さは0・0625ミリになります。
かりに1・5ミリの電極間隔が欲しいのであれば、本の24ページ分(12枚)を重ねた厚みが1・5ミリに相当しますから、それをプラグのプラスとマイナスの電極の間に挟み込んで調整すればよいことになります。
精密な物差しがなくてもかなり精度の高い物差しをつくり出すことができます。
当然ですが1枚あたりの誤差を少なくするためには、 最初に聖書とか六法全書のような、できるだけ薄い紙を用いた分厚い本を選んで、長い寸法を計って基準にすることが大切です。
彼はこうしてプラグの電極間を調整してエンジンの修理に成功し、地球一周をやり遂げています。
いってみれば基本知識の応用問題ですが、自在な発想があってできることでしよう。
こうしたことは日常にもたくさんあって、 ネジ式の細いノズルがついた液状の糊が入った軟らかい合成樹脂容器は、使用後によく洗えばケーキの飾りのクリームやチョコレートの絞り出しに使えます。
キャップをすればそのまま温湯に放り込めるので、チョコレートを軟らかくするときなどは市販の絞り器よりも便利なぐらいです。機械の手入れに使うグリスなどを入れておけば手軽で便利な注入容器になります。
ガンの治療、とくに新たなガンの治療法の場合は、必要な機能に適した機材器具が開発されていなかったり入手困難な場合も多いです。
特別に注文すれば開発に時間がかかって治療に間に合わなかったり、費用的に割高になってしまいます。あれがないからできないとか不可能だとやっていては、一歩も前進できないことになります。
何らのか工夫ができないものか、別のもので代替はできないかという発想が必要ですが、発生学の教室で学んだ「自在な発想を持て」という考えは、その後の私の発想のガン治療や研究にずいぶん役立っています。
佐藤一英「見えてきたガンの征服」㈱実務教育出版 1995年 第五章 患者の気持ちと医者の思いより












