道を拓いてくれた旅館のご主人
この先生とのやりとりから一つ貴重なことを学びました。
先生のいうがままに素直に従っていたのでは、医者になるという目的は決して達成できないであろう。
自分でやらなければならないことは自分で努力する以外に方法はないのだということです。
“自分で自分の道を拓く、ゴーイングマイウェイで生きるしかない”、このことを気づかせてくれた夜間中学の数学の先生には、今でも思い返すにつけて、ありがたいことだと深い感謝の念が湧きます。
もし万が一、あり得ない万が一ですが、あのまま東京大学にパスしていたら、”自分の道は自分で拓く“という生き方はしていなかったと思います。
いや、そうした生き方があることすら知らないで生きて来たかもしれません。
人間が成長したり、人生の転機になるヒントはどこにあるのかわからないものです。
人生にはどんな巧みな仕掛けがセットされているのかわからないものです。夜間中学の数学の先生のお陰で、医者になるための道は自力で切り拓かなければいけないと気づきました。
「夜間中学ではダメだ。学力が高い昼の中学へ行かなければ医者の道に進む学力は身につけられないのだ」と何とか昼の中学へ進む道を考え出すことにしました。
今日でいえば夜間高校から全日制の高校へと転校するわけですが、当時、近くにある昼間中学といえば山形中学のことで現在の山形東高校になります。
思いついたものの私には何の取り柄もなく、裸一貫で働きながら夜間中学に通う少年です。
家柄もよいわけではないし、 お金もあるわけではありません。そのときの身分はといえば旅館の番頭ですが、聞こえはよいものの実体は小僧です。
いくら頭をひねっても解決の方法は一つしかありません。勤めている後藤又兵衛旅館のご主人にお願いして、勤務時間を昼から夜の勤務に換えてもらうことです。
すがりついてお願いして、昼間の中学に行けるようにお頼みしよう。
そのかわり夜は一生懸命働いて、決してご迷惑をかけないようにすればよい。
それしか憧れの医者になる方法ないのだ。単純ですがそう考えつくと、旅館のご主人のところにお願いに出かけました。
「だんな様、お願いがあります」
「いったい何だい」
「実は先般、だんな様にも内緒で東京大学の医学部の試験を受けました。お恥ずかしい話ですが夜間中学では学力不足で東大入学は到底無理で、身の程知らずなことでした。それは夜間中学で教える内容が低いからで、先生が悪いわけでも教え方が悪いわけでもありません。ただ、 このまま夜間中学で勉強していたのでは医者になることは絶対にできません。だんな様、どうか私のお願いを聞き届けていただきたいのですが」
「何事だい。そんなに難しい頼みごとかい」
「難しいといえば難しいし、難しくないといえば難しくはありません。何とか私を昼間の中学に通わせてもらえませんか。昼間、中学に通わせてもらえれば夜は何時まででも働きます。微分積分学を昼間の中学で習いたいのです。だんな様お願いします」
一分間ほど後藤又兵衛だんな様の沈黙は続いた。
「なんだいその微分積分学というのは」
「だんな様でも知りませんか?」
「いや、俺は早稲田大学を出たが、文学部だったからわがらねがったかもしれないけどな。その微分積分学というものがわがれば医者になれるのか」
「なれる。きっとなれます。だんな様」
「ほう。そうすると俺がお前を昼間の中学校にやって、微分積分学を学べといえばお前は医者になれるということだな」
「そうです。その通りです。だんな様、 お約束します」
「そんなことは簡単だ。大体、旅館というのは夜の商売だ。今までの夜と昼を換えるだけだし、夜の方が人手は欲しいのだよ。お前の願い通り昼間の中学校に通わせてやるが、ただし条件が一つある。それは絶対に学生服を着て旅館から出ていってはいけない。途中で旅館の半纏を学生服に着替えて学校に行き、帰りは学生服を旅館の半纏に着替えて帰ることだ。番頭の姿で出ていって、番頭の姿で帰ってきてくれればほかに何もいうことはい。微分積分学を身につけて医者になってもらえば、わが家にとってもこんな名誉なことはない。番頭さんが医者になるなんて大したものだ。うそかまことか、とにかくやってみたらどうだ。規則はちゃんと守って、途中で着替えて、旅館から出るときと帰るときは「後藤又兵衛旅館』と染め抜いてある半纏を着ているんだよ」
「わかりました。必ず努力して医者になって見せます」
「まあ、やってみることだ」
こんな会話が交わされました。
まるで人情話や浪曲の一節のようですが、後藤又兵衛旅館のご主人のご配慮によって、医者になるという夢の実現への一歩が踏み出せたのです。
佐藤一英「見えてきたガンの征服」 ㈱実務教育出版 1995年 第五章 患者の気持ちと医者の思いより












