会報1号(初刊号) 1998年1月発行 
大石会長・佐藤院長挨拶

---佐藤免疫療法友の会「一英会」会長 大石 正路---

私が、故佐藤一英先生に初めてお目にかかったのは今から20年前、 先生が群馬大学医学部を退職され、大森で免疫療法を始まられた時でした。

抗癌剤の副作用を知っていた私の母は、乳がんの再発転移で余命3ヶ月と宣言されなが 一切の治療を拒否し、自宅で眠るように安らかな最後を迎えました。

亡くなる半月ほど前に、こんなことを言い出したのです。 「月に人間が行ける時代に、なぜがんの治療法がみつからないのかねえ?」 私は母の背中にをさすりながら、 「色々調べたけれど、まだがんの治療法は世界中どこにもないんだよ。 ごめんね。そのかわり、僕もおかあさんと同じ年にがんで死んで側へいくから。」 と言うと 「おまえが死んで喜ぶ親がどこにいるの。それより10年たてば日本のどこかに がんを治してくれる先生が必ず現れる筈だから。その人を探し出して、一人でも いいから助けてあげておくれ。それが私への親孝行だと思って」 と私の手を握りしめたのです。

私が佐藤先生の新聞記事を読んで大森の病院にお尋ねしたのは、母がなくなって丁度10年目 のことでした。

それから20年、色々なことがあり、決して順風満帆という訳には参りませんでした。 その間、多くの人達が離合集散して、危機に追い込まれことも何度かありました。 然し私には母の遺言がございます。 「この灯りを消す訳にはゆかない。今は小さな灯りでも、いつかはがん学会の主流になる日が来る」 そう信じて有志を集め、先生の研究を支える後援会を結成したのです。 それが「佐藤免疫療法友の会・一英会」の前身です。

一英先生は入院される直前、私を会長代理に任命し 「これからは免疫療法で命を救われた人達と、現実に闘っている人達とのネットワークを拡げる会に。」 とおっしゃられたのです。本来なれば、私の役割もここまでと存じてましたが、 旧一英会の経緯を知る唯一の証人として、当面の運営に責任を負うべきと考え非力をもう顧みず会長を お引受けした次第でございます。

この「友の会・一英会」は「一人よりも二人、二人よりもっとたくさんの同じ気持ちで がんばりあえる仲間たちに会える」 という願いをこめ、旧一英会を発展的に解消し、新たな理念のもとに設立されたものです。 私たちの周りには、この療法を知らなかったためにあたら尊い命を失って行った人達が 多勢おります。親兄姉ががんで亡り、その不安におののいている方も多勢いらっしゃいます。

会員の皆様方に「佐藤免疫療法友の会」を通じて、一人でも多くの方に輪を広げ、がん撲滅のための 研究と実践に参加して下さることを心からお願い申し上げます。



横浜サトウクリニック院長 
生体調節研究所長 医学博士 佐藤 忍

この度、一英会が患者さんの友の会として新たに発足される運びとなり、誠に喜ばしく意義深いことと 感激致しております。二年前、父佐藤一英が急逝し、横浜サトウクリニック院長ならびに ---