会報4号 1999年7月発行 
安田昭夫社長の治療体験記の抜粋

今日生きてることへの感謝
アキレス腱を切ったのが序章の幕開け


私が生死をさまよった時期から満6年半が過ぎました。
今でも、いつ死ぬか分からない恐怖感に時々襲われますが、 最近は生きている「今」を精一杯生きようと考え、充実そた毎日を過ごしています。 私が、がんと告知を受けたのは、1992年(平成4年)9月でした。自宅の庭を散歩中、 誤って側溝に足を踏み外しアキレス腱を切ったことが、私の第二の人生ともいうべき 序章の幕開けとなりました。アキレス腱の手術で入院した時、なかなか出来なかった 人間ドックをついでに受けてはと病院に勧められ、それもよい機会だと軽い気持ちで 検診を受けました。

検査の結果、がんの宣告。

目の前が真っ暗になるというより、こんなに健康でどこも異常が感じられないのに、 なぜ自分ががんに冒されているのか信じられませんでした。本人より、むしろ家族、 会社の役員や関係者など、周囲の方がショックを受け動揺していました。

■佐藤免疫療法との出会い

その後半年ぐらい体力の回復と温存を兼ね、自宅で仕事をしながら療養に努めました。 その間、八幡平と田沢湖の間にある秘湯、玉川温泉の岩盤浴もやってみました。 その頃です、ある知り合いの方から、サトウクリニックの免疫療法の本をいただきました。

最初は先進医療を受けいるのに、そんな治療で治るはずもないと目もくれませんでした。 しかし、その本を読んだ方が、藁にでもすがる思いでいろいろとチャレンジしてはどうかと 私を説得してくれました。

一回目の佐藤先生とのカウンセリングの中で「病に負けない気持ち」をまず持つことを教わりました。 最初の治療を受けてから私に変化が表れました。 今までにない変化でした。 身体が熱くなり、まるでエネルギーが湧いてくるような感じでした。佐藤先生からは 「手術する前に出会っていたら、手術で苦しむこともなかっただろう」と言われものです。 やがて通院回数も毎月から三ヶ月に一回に、半年に一回となり、明らかに回復してきているのがわかります。 通院しながら徐々に業務に復帰しました。あくまでも身体第一、健康第一を優先に。

■考え方がかわるとすべてが変わる

今考えると、神仏が私に課した試験ではなかっただろうかと思えるようになってきたところです。 試験にしては本当に苦しく辛い試験でしたが、入院・療養中の間に、私は様々な事を学びました。 たくさんの本を読んだ事が今までにない自分を見出し、自分を変える大きな力となったのです。 そして、神仏のお陰で助かった自分のこの命を「世のため人のために」生かそうと誓いました。

不思議なことに自分が変わると、いろいろなものがよく見えました。人の心も手に取るように読めるようになりました。 心が変わると、すべてがうまく行き、毎日が明るく楽しいものとなりました。会社の業績もよくなり、 事業も拡大しました。海外にも事業展開しました。

その後一年が過ぎ、二年が過ぎ、三年が過ぎ、五年が過ぎました。 この病気は五年が目処だといわれています。

自分と同じ時期に同じ病状で入院していた方が一人二人と欠けていく中、今自分一人は生きています。 いつそうなるか不安もあり、楽観視はしていないつもりです。体調を崩した時などは、ひょっとしたらと 常に不安にさいなまれます。それでも、運がよかったのか、それとも神に与えられた命なのでしょうか、 生きている事に感謝しながら私は今を生きています。

私の体験をもし、多くの方々に影響を与えるとしたら、私は一言いいたい。

多くの人は「がん」という一言で精神的に負けてしまっていると思う。 あと何日かの命と数えながら暗く過ごすより、あと何日の命を自分なりに精一杯生きようとする勇気が大切です。 私もそうでした。 とにかく精神的に病に負けない事です。勇気を持って病と闘う気持ちを強く持つことです。 私は九死に一生を得ました。この命を大切に夢の実現に向けて精一杯生き続けたい。そして多くの人に役立ちたい

平成11年4月



<<安田昭夫さんプロフィール>>
年齢 49歳 福島県出身 青森県在住
アンデス電気(株)代表取締役
【 会社概要】
設立:昭和46年
本社:青森県八戸市
資本金:2750万円
従業員数:1375名
事業所:青森県、福島県等 10工場 開発本部4部門、営業本部4拠点
事業内容:電子部品、プレス、金型、自動化設備等

公職:
青森県工業会副会長
青森県産業技術開発会議委員
青森県工業技術教育振興会評議委員など多数

賞:
中小企業庁長官賞等