<< 治療体験記 >> 一英先生はどうしているのかな --はるかなりの時の流れは-- 福島大学名誉教授 一英会理事 相澤 興一 もう20年も前の1982年の9月だった。日本鋼管の煙突から吐き出される煙の煤がうっすらと 積もる屋上から川崎の空を見上げ、ほとんど何もせずに病気と日を過ごすことに飽き、 先行きにぼんやりと不安を覚えていた。 一英先生は朝から回診のたびに大丈夫、君は治るから、と言われていた。患者は医師の顔を 読もうとするものです。しかし何の保証もないままそう言われても半信半疑である。 ただ一回リンパ球接種だけで何もせずに二週間近く入院を続けたころのことである。 生体防御療法ということで、軽く抗がん剤を打たれたあと二、三日して、若い人の血液を ということで息子からもらった200ccの血液から採取したリンパ球を接種したのだった。 それまであわただし過ぎたから、なおさら落ち着かなかったのだろう。海外研修として イギリスで研究を始めたばかりなのに、食後にくりかえし見舞われた猛烈な痛みにたまらず、 大学内のHEALTH CENTERにいった。そこで二回目の診療の後、ただちに街中のセンター病院にまわされ、 触診だけで腫瘍があるから明日入院しなさいといわれた。 診察された医者は当地では著名な医者だったらしい。 週末明けに腹部、大腸の手術を受け、その後二週間おきに二回抗がん剤を点滴された、その間、 体力の回復に努め、手術の1ヶ月半後に家族ともども帰国する羽目となった。帰着は9月1日で、 もう涼しくなっていたイギリスから残暑の厳しい成田に降りた。 帰国後すぐに地元の医大病院に入院した。三週間の検査を受け、やはり悪性のリンパ腫だという ことで、化学療法中心の治療を進められた。しかし、妻が別の治療を受けさせたいからと頼んで 私を退院させ、お世辞にも綺麗とはいえない煤煙まみれの川崎のサトウクリニックで免疫療法主体の治療を 受けさせられることになったのである。当の私は、不安だったが、成り行きなかせた。 イギリスで抗がん剤の点滴を受けるたび猛烈に気分が悪くなり、欝にもなったのを観て、 妻は走り回ってこの治療法を見つけ、川崎に連れてきたのである。化学療法では母体も駄目になると感じ、 そうしたようである。 私は普段は亭主関白だったのだが、このたびはさほど抵抗もせず、成り行きに任せたことになる。 一英先生の言葉もかなりなまっていた。先生のお国はどちらですか、とだずねたら、なんと小生の実家のと同じ村、 となりの部落のご出身だとのこと、奇遇である。 血液検査のあと退院した。数値がよくなっているよ、とだけ言われての退院だった。 約二週間後の点滴まで、福島の自宅の二階にでする暫くごろごろして過ごした。 思い返せば、子供たちにまで大変な負担をかけ、大きな打撃を与えたことになる。 高校生だった長男と長女には進級を一年ずつ遅らせることにさえなった。 与えた心配と迷惑も大変なものである。 寝ていると、軽く風邪を引いたような体調だった。それが気になった。 気が弱くなっていたんだろう。妻に川崎に電話させたりした。婦長はさんから、 気になる変化がある方が良いのですよ、治療が効いているしるしでしょうから、といわれだそうある。 10月に今度は東京在住の友人の息子さんの血液をもらってリンパ球の投与を受けた。東北ではもう 寒くなり始めいた11月に、京都大学で開催された社会政策学会に参加しがてら、夫婦で京都を旅した。 結婚後十数年にして初めて同伴京都旅行である。命のかぎりを感じていたのかもしれない。 学会会場は寒く、傷跡が痛んだ。二回目のリンパのあとでは、傷跡がときどきしくしく痛んだ。 これも治療の影響だったらしい。我慢するのもいやで、学会への参加を中断し、妻と紅葉狩りをした。 法然院などの紅葉が真っ赤にだった。いい旅になった。 その後も京都を訪れたことは多いが、いつも用事があってことである。昨年11月にも、たまたま滋賀の大津で講演があり 前泊の必要があったので、前日に半日あまり友人と寺廻りをし、実に久方振りの京の紅葉狩りとなった。 やはり京都の紅葉はよいものである。観光客の雑踏に少々うんざりであるが、お互い様であろう。 本当に楽しむには、やはり旅だけを目的とし。お目当ての近くに泊まり、早朝から夕暮れ時をねらうべきである。 12月にやはり地元医大の同じ先生のお世話で精密検査をして頂いたところ、なんと9月の検査で見られた肝臓への浸潤のあとも 綺麗に消えていた。奇跡のように消えていたのである。一英先生のおかげである。 命の恩人なのである。あれから20年も経ち、一英先生の研究結果は二代目の佐藤忍院長に継承され、1990年頃からは BRP療法に移行、より安全で効果的な免疫療法として、多くの患者さんを救っていただいている。 昨年から一英先生のご自宅がある高崎の新設大学に通ってる。 一英先生のお墓はどこなのだろう。是非一度お参りしたいものである。 悲しいかな、我が家の息子も昨年の1月にあの世に旅立ってしまった。 お会いすることがあったらよろしくお願いします。 本当に、一英先生にはどうしているかな。時の流れはますます速まっている |