「再発防止の5年」H・Nさん (宮城県)

2013.8.1 
「再発防止の5年」H・Nさん (宮城県)

●横行結腸がんそして転移性肝がん
高分化腺がん、深達度SS、右半結腸切除術を受けたのは1999年10月。つまり、その年の8月、名取市の大腸がん便潜血反応検査で精密険査が必要と診断された。
何の自覚症状もないまま、内視鏡検査を受けたところ、すぐ手術を受けなさいと診断され、宮城県立がんセンターで手術を受けた。
早期発見で運がよかったと思った。病室巡回のがんセンター所長もそういっておられた。
術後おおむね二カ月おきに血液検査をうけ、2000年10月には腸カメラ、CT検査を受けた。そこで肝臓に転移性がんが発見された。
各種の検査からがんの転移定着した組織は一カ所だから手術ができるということで、翌月27日に手術となった。
手術当時のがん組織は4センチにもなっていた。
診断書によると右肝葉60%切除手術となっている。細かいことはよくわからないが、輸血量8000cc、手術室には8時間以上いたと後ほど聞くた。
主治医からは肝臓機能が正常になったら、再発防止のために制がん剤を飲みましょうと提案された。

●再発抑止こそがん治療
肝臓の手術が決まったときから、私は術後の再発防止策にひとつの方針を立てていた。それは佐藤一英先生のリンパ球療法をしようということであった。
友人はありがたいもの。一英会理事の相揮与一氏は、学生時代からの友人で長年親しくしていた。
彼が研究者としてイギリスに長期留学出張したとき、大腸の悪性リンパ腫を発症、緊急手術のあとやむなく帰国した。帰国後検査で肝臓にがん転移を認めた。治療に佐藤一英先生のリンパ球療法を実施、完治し手術後すでに17年を経過していた。
私は「自分がもしがんになったら、その佐藤免疫療法を取り入れよう」と心に決めていた。私は、生物科学者の端くれとして、がん発生の機作、治療の問題点などには注意はしていた。相澤氏に連絡を取ったところ、リンパ球療法は1990年に現在のBRP静脈注射の免疫監視療法に改良されたこと、佐藤一英先生は1995年12月に長逝されたことなどを知らされた。学生時代に親しくしていた友人に医学部に進んだ人たちもいた。開業した友人、基礎研究畑に進んだ友人もいる。医学部教授の友人が見舞いで次のようなことを言ったのが誠に印象深い。
「がん細胞の転移、定着には多くの条件が絡むこと。転移では何万何千万というがん細胞が体中に回るが、その多くは体の防衛機能によって定着が抑えられること。私の場合転移が一カ所だということは誠に幸運なことだ。
私の体にがんの転移定着を抑止する力が強いということの証左だ。その抑止力に期待し、抑止力を強めるという疲法を採用することはきわめて有効だ」「がんの定着、再発を抑止する機能に不明なことは多いが、病気の抑止に関する精神の果たす役割も無視できない」と。
精神力と、生きる意欲を強めることはきわめて重要ともう一人の友人医師も言っていた。
また快適な山野の散歩、快適な音環境にひたることの重要性を説く友人もいた。

●佐藤免疫監視療法を受ける
年明けて3月、相澤氏を通して横浜サトウクリニックに予約し、佐藤免疫監視療法を受けた。がんセンターの主治法お勧めの制がん剤の服用はご遠慮し、手術後の定期検査を行うこと、CT検査フィルムの借用、診療情報提供書をお願いし、ご協力をいただいた。
佐藤免疫監視療法のみ定期的に受け、がんセンターでは2~3カ月おきに血液検査(肝機能を始めCEA、CAm-9他)、1年後には内視鏡検査、CT検査を行ってきた。
これらのデータは佐藤忍先生に常に報告してきた。
日常の生活は、がん再発抑止が至上命令だし、一般に言われる生活上の注意はなるべく守るようにしてきた。
あまり意識しすぎてもストレスになるので、適当に酒も飲むし、運動は水泳とスキーを適当に続けている。なんでも適当にと心がけている。食べ物についても一般的な注意のほか、発芽玄米とヨーグルトを自分で作っている。
2005年6月2日に15回目のBRP静注を受けた。
佐藤先生の言葉では、もう再発の心配もないから、半年から一年の間隔でのBRP治療でよかろうということであった。
がんセンターでは、11月18日、術後5年目になるが、血液検査だけを行った。
前回(8月12日)のデータはすべて異常なく、今後は半年毎の検査でよかろうということであった。

●喜びの術後5年経過
去る11月、相澤氏に会う機会があった。
彼の紹介によるBRP療法のおかげで5年は無事過ごすことが出来た。彼に深く感謝した。
彼も多くの人にこの療法を紹介してきたが、「効く人には一回の治療で劇的に効く」「この療法との相性がある」という。私の場合、この5年の問、何人かの友人をがんで失ったが、佐藤免疫療法を紹介した人でも、「間に合わなかった」としかいえぬケースもあったし、制がん剤治療後のケースが多く、残念至極の結果となってしまった。
多くの場合発見が遅れる不運が重なっている。
注意深い検査で発見を早め、手術をした関係の諸先生、関係の皆様に深く感謝している。
私は運がよかったのだ。信頼できる友人があった。その友人の経験のおかげで佐藤免疫監視療法に出会うことが出来た。
がんの発見と有効な療法との出会いには運としかいえない面がある。
皆様の幸運を祈って私の5年の治療経験を述べた。


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