「私にも素晴らしい老後が…」M・Oさん (広島県)
2013.10.1
「私にも素晴らしい老後が…」M・Oさん (広島県)
十六年前、私は広島の総合病院で子宮肉腫と診断され、子宮と卵巣を摘出後、五クールの抗がん剤治療を始めたのが十五年前です。
家族には「余命数か月」と伝えられていたそうです。
私は、二クールの投与が終わった後、横浜サトウクリニックで一英先生と出会い、佐藤免疫療法を開始しました。
多くの方に支えられて、今年還暦を迎えます。
当時八十歳を過ぎた義母が入退院を繰り返したこともあって、広島から横浜への通院は日帰りで、二カ月に三回、やがて三カ月に一回から半年に一回と間隔もあき、ここ数年は、治療というよりも再発防止のために、一年に一回のペースでBRPをお願いしています。
昨年夏からは、主人も老化による免疫力の低下を予防するのだと、一緒にBRPをお願いしています。
平成十五年は、年初から次々とストレスになる事が起こり、疲れからか、夏頃から私は体調を崩し、翌年五月には出血をみるようになりました。
がん検査を受けたものの、医師に病歴を説明したところ、うちでは分からないし、分かったところで何もできないからと最初の病院で診察を受けるように指示されました。
六月には横浜でBRP治療を受ける予定にしていたので、どのような結果がでても総合病院に行く気はありませんでした。
幸い何事もなく、佐藤院長先生から老化でこのような症状がでることもあると伺いました。サトウクリニックでの検査では免疫力の低下がみられましたが、治療後二週刊ぐらいから症状が消え今に至っています。
免疫力の低下を抑えるために半年後の十二月にまたBRPをお願いしました。
「命には限りがある」ことを忘れていた私は、日常の生活を普通に過ごして歳を重ねていくことが、どれほど幸福なことかを知りました。
老後はないと思っていた私には、老化という言葉さえ嬉しく素晴らしい老後を今、明日があっても悔いがないように楽しんでいます。